もちブロ

もち(Twitter:insei_faruko)が書く日記

もち歴(思い出話)

ポートフォリオ作成のやる気が起きなかったので、もちの自己紹介、という名の思い出話書きます。(人がやってるのを見て真似したくなった)


意外と長くなっちゃった。し、支離滅裂です。


もち


出身:愛知


所在地:京都


年齢:23(2021年現在)



経歴(思い出話)

幼稚園:

デブといじられた(小学生からどんどん痩せて言った)

お絵描き教室に通い、絵が好きになる


小学生

虐められていた訳では無いが友達がまじでいなくて、休み時間は本を読むか絵を描くかをする 。

生理的に無理な同級生に好意を持たれていることがわかるとその人に付けられているという被害妄想が加速しろくな生活が送れていなかった、

友達がいなかったので(?)カウンセリングに通っていた、自分ではなぜ行っていたのかあんまりわかってない。

蓄膿症が発覚する。


中学生

勉強ができることに気づく、それとお絵描きがアイデンティティだと思い込む

テニス部に入部しようとするも体験入部で玉がラケットに当たらず断念。小学生のとき多少仲が良かった子達と美術部に入る。オリジナル漫画やキャラを制作し、オタクとして充実した部活動生活を送る。今でも仲がいい。

ギターを一瞬だけやった。少しコードが弾けるだけで飽きてしまった。でも今はまた弾きたい。

高校入試はほぼストレスなく乗り切って第1志望に受かる。


高校生

美術部に入ろうとするもなんかオタクがキモイという同族嫌悪の観念で辞め、逆に軽音楽部はキラキラしすぎて辞めた。どっちかと言えば理系の高校だったので科学の実験とかをやらせてもらえるプロジェクトに参加した。ただ遊んでただけだが。

耳鼻科に通うのをやめた。お金もかかるようになったし何よりその時の医者が嫌いだった。

勉強は相変わらずできた方だった。自分のアイデンティティだった。

いわゆる邦楽ロックにハマった。ロキノン系は勿論、名古屋でのラウドロックに一時的にハマった(ホルモンとかヒステリックパニックとか好きだった)、八十八ヶ所巡礼に出会ったのもこの頃である。

邦ロックで話しが合い初めて恋人ができた。小柄で休み時間に物理学の本を読んだりしてて若干変わったところはあったけど普通に顔も性格もいい人だった。ただ現在は大学デビューをしてしまったようで、風貌とかがだいぶ違うらしい。今知り合ったら仲良くなってないわ。今の恋人とTwitterが相互でびっくりしました(今の恋人は社会人でバンドマンなのですが元彼がそのバンドのファンらしい)。世間狭。


受験の夏、全く眠れなくなった。授業中に寒気がすると思ったら突然倒れて担架で運ばれることが週に一回、2回ほどあった。恥ずかしかった。その時原因は突き止められなかったけど多分迷走神経反射だと思う。

内科に行ったら自律神経失調症だと言われた。眠れないので学校に睡眠に詳しい病院を紹介してもらい心療内科に行った。今後そこには5年間お世話になる。

成績不振になった。勉強もまともに出来なくなった。怠惰だと思った。辛くて身の回りに当たり散らしてたら彼氏に振られた。親にも泣かれた。すいませんでした。他人に依存しまくっていた。誰かがいないと辛かった。

ほぼ不登校になった。週に一回か2回行けるか行けないかだった。担任がガストで話を聞いてくれた。まともにお礼を言えていない。


今の学校の試験の前日は保健室で寝ていた。よく試験を受けられたな。試験は高二までのポテンシャルだけで乗り切って、成績優秀者扱いになった。Fランなので。

センターで第2志望のボーダーギリギリだった時絶望で号泣した。第2志望を前期で受けたが英語でミスって落ちた。よく受けたな。


病状は試験後もが悪化し合格発表前にリストカットをしてしまい閉鎖病棟に入れられた。2週間くらいだったと思う。閉鎖病棟では糖質の人とかもっと重い鬱の人とかいて色んな人がいるんだなと思った。そこそこ仲良くなった人もいた。写真も撮ったけど今どこにあるんだろう。

全く眠れなくてめちゃくちゃ薬を盛られて、その当時は気づかなかったけど統失の方に使うやつも飲まされてたっぽい。けど眠れんかった。


今の学校に通うって割り切ってからは回復が早かった、しかし睡眠だけは治らなかった。

よく分からんけど暖かい春だったことは覚えてる。


大学

入学初日から友達と付き合えるか怖くて泣いた。

カウンセリングも2回ぐらい言った。慣れたらすぐ良くなったので通うのは無くなった。

なんかの成り行きで軽音サークルに入った。オタクというか陰キャが多かったのでめちゃくちゃ友達ができたし青春だった。ベースを始めてバンド活動もやってた。この世のどこかに音源が存在します。ただサークルがめちゃくちゃブラックだった。でも先輩も後輩も好きだった。

サークル内で付き合った人間がいるけどめっちゃメンヘラでキツかった。1年で別れた。


勉学の方は、鬱が酷かった1年前期以外は成績が良かった。サークルが忙しすぎて設計課題をこなすのがマジでしんどかった。でも上手く乗りきって評価は良かった。調子に乗って設計系の研究室に入ることを決断した。これが大きな間違いだった。


研究室は和やかな雰囲気ではあったがみんな意識が高かった。研究室に行くのがしんどかった。グループ設計課題でヤンキーの同級生と口喧嘩になって泣いた。設計に対するモチベーションも下がった。成績優秀だったので何とかなってたけど卒制でめちゃくちゃ失敗してトラウマになってる。


3年から4年の間に付き合った人間がいた。怠惰な人間だったけど身長が高くてオシャレな店知ってたりするしギャグセンスもあったので好きだった。普通に今も仲がいい(と思ってる。)


鬱とはそれなりに付き合ってた気がする。時間も自由に取れたから休みたい時に休めたのでなんとかなってた。


学歴コンプリベンジのために大学院に行くことを決意する。(就活したくなかったのもあるけど)結果的に受かる。(高校の時には志望してなかったけど建築系なら有名どころだったのでそれで良かった。)


大学院生(今)


設計系の研究室に所属している。研究は理系だけどほとんど文系みたいなことをしている。音楽施設のリサーチなどを行っている。

一人暮らしを始める。一時的に潔癖症になる。

学校になじめずまたカウンセリングに2回ぐらい言って慣れて行かなくなる。


同期は普通にいい人だったがやっぱり意識が高くて嫌いだ。それと鬱が若干悪化してるみたいで学校にはあんまり行けてない、けど行かなくても研究とかは進むのでそれでいい。


今は就活が上手くいく気がしなくて落ち込んでる。というかポートフォリオ(作品集。面接時に持っていく)になんでこんなに時間かけないといけないんだっていう気持ちと卒制がトラウマすぎて向き合いたくないです。




ざっとこんなかんじです。


人生に絶望して同じ病気の人間を探すために今のアカウントでTwitterを始めたのですが、自分と似たような境遇の人、色んな人に出会えたのですごく嬉しく思っています。


趣味の話を次回は掘り下げられたらいいなと思います。


また。